今昔物語集 現代語訳

『今昔物語集』の現代語訳と解説。有志の参加者募集中です。

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巻五第十二話 五百人の皇子、国王の行幸中に皆そろって出家してしまう話

巻5第12話 五百皇子国王御行皆忽出家語 第十二

今は昔、天竺に国王がありました。五百人の皇子を持っていました。

あるときの行幸のことです。国王は五百人の皇子を前に立たせて進んでいくと、たまたま一人の比丘(僧侶)が、琴を弾きながら皇子たちの行く先を横切っていきました。すると、五百人の皇子は皆いっせいに乗り物から出ていき、その比丘の方へ行ってしまいました。 

まもなく、五百人の皇子はそろって出家してしまい、比丘から戒を受けていました。国王はこの様子を見て、すっかり驚いてしまいました。そのとき、一人の大臣が国王の前にやってきて、こう言いました。 

「皇子たちの御前を一人の比丘が琴を弾きながら通っていきました。その琴の音を耳にして、皇子たちはたちまち出家してしまったのです。その琴の音は『有漏の諸法は幻化のごとく、三界の受楽は空の雲のごとし』と響いておりました。これを聞いて、五百人の皇子たちはたちまち人生の無常を感じ、この世の楽しみを厭い、出家なさったのです」

その琴を弾いて通った比丘は今の釈迦仏その方であり、五百人の皇子というのは今の五百羅漢である、とこう語り伝えられているとのことです。

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【原文】

巻5第12話 五百皇子国王御行皆忽出家語 第十二 [やたがらすナビ]

【翻訳】
柳下弘行

【校正】
柳下弘行・草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
柳下弘行

ほんやくネット新人の柳下と申します。今年26歳になる若造です。Twitter上で、ほんやくネット訳『今昔物語集』への感想を書いたところ、代表の草野さんから「是非参加を」と誘っていただきました。どうぞよろしくお願いします。まあ、自己紹介はこの程度にしておいて、さっそく解説に入らせていただきましょう。丁寧な文体でものを書くのは得意ではないので、以下から書きやすい文体にさせていただきます。 

今回僕が草野さんから初の「お題」として出されたこの話はとても短く、原稿用紙一枚半にも満たない。話の流れとしては、「天竺のある国王が、皇子たちを連れて行幸に出かけると、その前を琴を弾いた比丘(僧侶)が横切っていった。その比丘が弾くことの音を聞いた皇子たちは、たちまちこの世の無常を感じ、出家してしまった。」とまあ、本当にこれだけである。最後の一文に表れているように、この話は五百人の皇子の、出家への機縁談として書かれている。

個人的に一番面白いところは、五百人の皇子がたちまち出家して行く様を見て、びっくり仰天している、国王である。その様子を想像すると、結構笑える。原文には「国王、此の事を見て、驚き騒ぎ給ふ」とあるから、まさに目の玉飛び出るほど、驚いたんだろう。そりゃ、そうである。僕も、読んでいてそう思った。「いやいや、いきなりすぎるだろう!」って。

大臣が国王に告げる、「有漏(うろ)の諸法は幻化のごとく、三界の受楽は空の雲のごとし」というのは、意味としては「この迷いの世界のおける一切のものごとはすべて実体のないものであり、ただ幻のようにつくられたものに過ぎない。また此の迷いの世界において受ける楽というものも、空にただよう雲のようにはかないものである」といったもの。

「今生きている世界はコンピューターによって作られた仮想現実に過ぎない」というところから物語が始まるのは、ウォシャウスキー姉妹の映画『マトリックス』(1999年)だが、なんとなくそれを想起してしまった(ちなみに映画公開当時はウォシャウスキー兄弟だった)。

最近では僕くらいの若い世代の間でも仮想通貨が流行っているが、これなんかはまさに実体のないつくりものでかつ、雲のようにはかない存在だ。かつてピンク・フロイドというバンドが「Money」という曲の中で、"Money, it's a gas"と歌っていたが、昨今の仮想通貨の登場によって、より一層、この一節が深みを帯びてしまった。

マトリックス』といい、ピンク・フロイドといい、千年前の作品を自分の知っている世界で解釈してしまうのは我ながらどうかとは思うが、しかし、上記の偈頌(げじゅ)と通じる面は少なからずあるのでは、と思っている。

 なお、この話の本質ではないのだが、一応楽器をやっている人間として、比丘が弾いていた「琴」というのは、どんな楽器だったんだろうとは気になる。琴といって真っ先に思い浮かべるのは、床にどっしりと置いて、猫の爪のようなものでガリガリ引っ掻いている(落語の噺「茶の湯」での小僧の言葉)あの楽器だが、この話では、比丘は楽器を弾きながらふらふらと歩いていたのだから、もちろんあれとは違う。まさか車輪が付いていたわけでもあるまいし。

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古くから、日本では弦楽器全般を「こと」と称していたらしいし、明治時代に入ってきたピアノやオルガンをそれぞれ「洋琴」や「風琴」とまで呼んでいたとのことだから、この「琴」という呼称は、結構アバウトだ(なんせ舞台が天竺だし)。まあ普通に考えると、ギターのように抱えて弾く、小型の弦楽器だったんだろうとは思う。 

ギターやその祖先のリュートのような楽器の起源は、アジアにあるかヨーロッパにあるかというのは、研究者によっても分かれる議論ではあるが、僕の弾いているギターとおんなじようなものを、釈迦も弾いていたのかもしれないと考えると、なかなかロマンチックな気持ちになる。