今昔物語集 現代語訳

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巻四第三十一話 王の殺意から逃れた名医の話

巻4第31話 天竺国王服乳成嗔擬殺耆婆語 第卅一

今は昔、インドに国王がありました。心はねじ曲がっていたし、いつもうとうとして、眠ってばかりいました。まるで寝ることが仕事のようでした。

こんな人はそうはいません。大臣や公卿は「これは病だ。だから終始うとうとして、眠ってばかりいるのだ」と断じて、位の高い医師を呼びました。
医師は「これは病である。すみやかに乳を与えるべきだ」と診断し、乳を献上しました。

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国王はこれを服し、おおいに怒りました。
「これは薬ではない。毒だ」
多くの医師が、首をはねられました。国王の病状はいよいよ増し、眠ってばかりいます。癒える気配はありません。

このころ、ひとりの尊い医師が召されました。医師は母后にこう問いました。
「王がお生まれになるとき、なにかあったということはありませんか」
母后は答えました。
「大蛇に犯される夢を見ました。王はそのとき懐妊したのです」
医師はこれを聞いて心の内で思いました。
「王は蛇の子だ。だからこのように終始うとうとして、眠ってばかりいるんだ」
その薬を考えましたが乳よりほかにはありません。
「乳を服用していただくしかない」
しかし、医師が何人も殺されています。乳を乳だといって処方するわけにはいきません。そこで、他の薬と乳をあわせ、「乳ではない他の薬です」と言って奉りました。

国王はこれを服しましたが、乳の気を感じ、おおいに怒って言いました。
「この薬を調合した医師を捕らえよ」
家来は医師を捕らえようとしましたが、医師は「こんなことがあるだろうと思っていた」と、薬を献上した後、速い馬に乗って逃げていました。家来が王にそれを申し上げると、「追って捕らえよ」と宣旨がありました。はるか遠くまで逃げていましたが、三日後、ついに捕らえられました。

医師は思いました。
「薬を服されたのだから、王は治癒して心を取り戻されているだろう。だが、治らないこともある。今、この家来とともに行けば首をはねられることもあるのだ。それはまったく益のないことだ」
そこで家来に、かならず死ぬ毒草を「これはとてもおいしいものです」と言って与えることにしました。まずは医師みずから食べました。家来は医師が食べるのを見てこれを食べ、みな死にました。

医師は毒消しを飲んでいたので死ななかったのです。家来たちはこれを飲んでいなかったので、死ぬことになりました。

うまくいったと考えた医師は、王城で隠れていました。国王はその間に、薬の力で治っていました。そして、自分を治療した医師を召しました。王はたいへん喜び、勅禄と官位を与えました。

世の人も、この話を聞いて、おおいに医師をほめました。これ以降、国王に乳を奉るようになったといいます。

この国王は竜の子であると語り伝えられています。

 

【原文】

巻4第31話 天竺国王服乳成嗔擬殺耆婆語 第卅一 [やたがらすナビ]

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

この王様はおそらく、ナルコレプシー(眠り病)だろう。

ナルコレプシーだった色川武大阿佐田哲也)が「ものくさ太郎はナルコレプシーだ」と書いていた。ナルコレプシーとはとつぜん、暴力的に睡魔が襲ってくる病気である。発作に襲われれば歩行中でもその場で眠ってしまうという。ハタから見ると寝てばかりいるように見えるそうだ。

ものくさ太郎は怠け者のレッテルを貼られてたいへんに苦労したが、この話の王様には「これは病だ」と認めてくれる家来があり医師があった。とても素晴らしいことだが、薬が乳とはなんとも。薦めた医者が首をはねられるとはいやはや。

この話の主人公である名医は耆婆(ぎば、ジーヴァカ、ジワカ)である。
釈尊やその高弟の病を治癒した名医として有名だが、ここではタイトルにその名が見えるばかりで物語の中では名を伏せている。中途半端なことすんなあ、どっちかにしろよと思うが、舞台がインドで名医といえば耆婆だと誰もがわかったのかもしれない。
浄土宗/浄土真宗で重んじられる『観無量寿経』や釈迦の死の様子を描いた『涅槃経』にも登場する有名人らしいので、その可能性はじゅうぶんある。名医の代名詞になっていたかもしれない。
余談であるが、タイマッサージの創始者もこのジーヴァカであるとされる。

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薬としてもちいられる「乳」だが、なんの乳だろうと思った。一般的には牛乳だが、インドには山羊もたくさんいるから、山羊の乳の可能性もある。
この話は経典『耆婆経』が出典だという。そこでは薬は乳ではなく「醍醐」とされている。醍醐とは牛乳の加工品だから、やはり乳とは牛乳であると考えるべきなのだろう。

チーズ、レアチーズ、バター、ヨーグルトと乳製品はいくつもあげることができるが、醍醐がなんだったのかはわからないそうだ。今は伝わっていない料理の可能性もある。ナルコレプシーの特効薬が醍醐なら説得力があるんだが、牛乳だとなあ。

牛乳からできる最上のものを醍醐といい、その味を醍醐味と呼ぶ。